みなさんこんにちは学芸員Aです。
十日町市にカウカ平という遺跡があります。
カワイイ土偶など出土していて、前の博物館にも展示されていました。
きっと新しい博物館でもお目にかかれるのではないかと期待してます。
カウカ平は、こう書いておきながらコウコダイラと読むのだという話をきいたことがありました。
え?
と誰もが思うはずです。
わたしたちは考古遺跡には読み方の問題がよく浮上することを知っています。
遺跡の名称は発見された場所にちなんで付けるのが普通です。
だいたいは字(あざ)を使います。字は、地図にもあまり出てきませんが、地籍図などをみると出ています。
細かい地名なので、遺跡が沢山あるときに重宝します。
ところが、字名の読み方は正式には登録されていません。
みなさんの戸籍みたいなものです。登録されていたとしても、どこかの行政機関が決めているもので、決定版ということはありません。
地名はほとんど、現在の行政機関が存在する前からあるものだからです。
だから漢字が同じでも読む主体によって違い、混乱することはよくあります。
私が知っている例では、市が付けている読み方、教育委員会が遺跡名でつけている読み方、その土地の住民の呼び方が異なり、さらにその遺跡のことを論文に書いた研究者が出土遺物の形式名にまた違う読みを付けた、という複雑な例があります。そもそもの正解がないので、どうにもなりません。
このケースは、あくまで漢字は共通して承認されていて、読み方が異なるというものです。ある意味仕方がないことかもしれません。
では平仮名や片仮名ではどうしょうか。
仮名はともに平安時代からあります。
片仮名のほうが古いという説があり、このため戦前には片仮名が古来より伝わる正式な文字として扱われ、現在ならひらがなで書くところを全部片仮名にした文章が作成されていました。明治時代に制定された法律の条文には長く残っており、商法が最近になってようやく平仮名に置き換えられたという話はきいたことがある方はいらっしゃると思います。一方、いわゆる歴史的仮名遣いと呼ばれているものは、同じ字であっても前後との関係によって読みが変わることがあります。「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と読むがごとしです。このような歴史的仮名遣いは、明治時代に小学校教育令施行規則により変わりました。以下、wikipedia先生からの引用です。引用始め〜〜〜〜〜〜〜〜明治33年(1900年)、平安時代から続く平仮名のうち、「小学校令施行規則」の「第一号表」に「48種の字体」だけが示され、以後これらが公教育において教授され一般に普及するようになり、現在に至っている。規則制定の理由は一音一字の原則に従ったためである。〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わりここで重要なことは、一音一字の原則にしたがったという点と、この施行規則がその後一般に広く普及し、別途公用文における法律がないという点です。 その後、現代仮名遣いに関する法律が1946年(昭和21年)と1986年(昭和61年)に制定されましたが、この制定でも、仮名遣いが問題にされて仮名の発音は問題になっていません。「言う」の仮名は「いう」であって「ゆう」ではないとか、「〜へ行く」であって「〜え行く」ではない、みたいなことです。
「あ」と書いたら「a」で、「か」と書いたら「ka」であって「ko」としない、とみんなが承知していて、それで問題が起きてないから法律にする必要性がないんだろう、と思います。法的に定めがないから自由に読んでいいのではなく、定める必要がないくらい了解されているものとみなしていいと思います(ワタクシの見解です)。
遺跡名は、史跡名勝天然記念物保存法(大正8年)等を廃止して新たに制定した文化財保護法(昭和25年)に基づいて「周知の埋蔵文化財包蔵地」として登録されているものですから、小学校令施行規則よりも後のことです。
カウカ平遺跡は、おそらく発見した場所の字(あざ)が「カウカ平」です。
これが仮に歴史的仮名遣い的な感覚で「カウカ」と書いたものがそのまま放置されていて、地元では実際にはko-u-koと発音していたとしても、その後の埋蔵文化財包蔵地を登録するときに「カウカ」と記載したものはko-u-koとは読めません。公用文一般でこんなことをしたらどうなるでしょうか。
仮名文字と通称が乖離していた時にどちらを優先すべきかは悩ましい問題です。
カウカをko-u-koと読むのは無理です。かといって「コウコ平遺跡」に変更するには、字名表記と違うわけですからちょっと変な感じです。もっとさかのぼって字名を地籍登録する時に漢字を当てておけばよかったのにとも思いますが、もちろん後の祭りです。もう八方塞がり。回りくどくなりましたが、このように考えてくると、やはりカウカ平はカウカダイラと読むのがベストです。
なんか笑えてきました。
こんな問題、文字記録を扱うことの少ない考古学よりも、文献史学や民俗学のほうがたくさんあることでしょう。
ここから先には大変な山がありそうな予感がしてきたのでこの辺で逃げたいと思います。
チャオ。
学芸員A
posted by 十日町市博物館 at 11:09|
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日記